牙を抜かれた主婦の絵日記

育児マンガとどうしようもない独り言。お気軽にコメントください!

ママが怒っても案外平気な我が家族

f:id:BTAD:20210831130649j:plainf:id:BTAD:20210831130712j:plainf:id:BTAD:20210831130709j:plain

f:id:BTAD:20210831130705j:plain

 

時々ヒスってるママを家族が生ぬるく見守っている現場があります…。

私と夫が激しくケンカしても10分後に笑ってしゃべってるような、切り替え早く起伏激しいタイプだからでしょうか・・・あんまり気にしない感じがあるように思います。

 

 

やっと夏休みが終わりますね・・・はぁ、精神的にきつかった・・・。

 

天国はばぁばみたいな人がいるところ

そういえば、義母がなくなってから、ずっとシャロがどういう風に気持ちを整理してきたのか気になっていたのですが・・・

先日テレビで温泉に浸かっている人が「天国だー」と言っているのを見ると、笑いながら

「天国だってー!天国って、ばぁばとか、そういう人たちが行く場所でしょ~!」

と言っていました。

 

なるほど、「天国」という、異国的などこかに行った、と理解しているのかもな、と思いました。

 

都合よく大きくなったり小さくなったりするルイちゃん

ルイちゃんは、とっても要領がよさそうだな~と思います。

見た目がとてもあどけなく、幼稚園の見学会に顔をだしたらちょっと驚かれました。

でも言うことはいっちょ前。赤ちゃんみたいな声なのに、大人みたいなしゃべり方をします。

幼稚園への憧れがどんどん増してきて、「ウイちゃん、もうおっきくなったから、幼稚園にいけるよ?」と言います。

かと思うと、「ウイちゃん、まだちっちゃいからできない。やって」などとおねだりすることもあります。

 

パパにありがたいと思うこと

ところで、先日子どもを載せて自転車に乗っていた時に…突風にあおられて転倒してしまいました・・・!!

 

その時、近くを通った人が自転車を起こすのを手伝ってくれたのですが・・・

 

「大丈夫?」と聞かれて、「大丈夫です」と答えたら、

「あなたじゃなくて、子どもたちが」って言われたんです・・・。

 

手伝ってくれたのはすごくありがたかったけれど・・・

この時、子どもを危険にさらした母親、子どもを気に掛けない母親、そんなレッテルを貼られたような気持ちになってしまって。

感謝が一番でしたが、

 

転倒したのは、私が悪かったのかな。

転倒しやすい子どもを載せた自転車がないと生活できないし、自分の趣味で載せて走り回ってるわけじゃない。

そもそも、子どものシート付の自転車は駐輪しにくいし、
自転車用道路がちゃんとできていなくて、安全に走行できる道路も少ないし

細い道から突風が出る仕様は、予想もできないし私が設計に関わったわけじゃない

私だって日々不安を感じながら自転車を運転していたわけなんだけど・・・。

 

私は子どもたちに何度も謝って、責められてしまったような気持ちになりながら家に帰りました。

 

そういえば、昔子どもを載せてよろけた時も、数メートル離れたところを歩いていたおじさんに「何やってんだ」と舌打ちされたことがあって・・・

 

その時もこんな気持ちでした。

 

「何やってんだ」「母親のくせに、たかだか100キロ(子どもを載せて電動自転車の総重量)も支えられないなんて」 舌打ちして通り過ぎていった人は、そんな風に思って舌打ちしたんじゃないかな

 

まあ、そんな風に軽くへこんで帰りました。
子どもたちはシートベルトしてたしケガなし。私はぎっくり腰&あざですみました。

 

で、家に帰って、叱られるかなと思いながらも、パパに「今日自転車で転倒しちゃって」と言うと、

 

パパは

 

「大丈夫だったの!?」と怒鳴るように言いました。

 

「子どもたちはケガしてないよ」と答えると

 

「子どもたちがケガしてないのは見ればわかる!ママちゃんが大丈夫だったのか、って聞いてるの!」と怒ったように言いました。

 

その時、私は、子どもの付属品としてじゃなくて、自分という人間として存在していいと肯定されたような気持ちになってものすごううれしかったので、忘れないように書いておこうと思ったのです。

 

もう1つ感謝してるコト

思い出したついでにもう1つ感謝してるコト書こうと思って。

子どもたちに関心を持っていて、忙しい時でも、「今日子どもがこんなことをしてね…」と話し始めると、やっていることを止めて「それで?それで?続きは?」と話を聞くこと。

 

子どもに興味ナシがステータスだった昭和の子育て時代を知ってる私から見てこれは特別なことです。(その分リッチ昭和は、派手な家族サービスや記念日の花束がありましたが)

そんなありがたい気持ちをちょくちょく思い出しつつ生活しよう、などと思っている朝です。