差別は忌み嫌うべきもの。
80年代のアメリカではすでにそのような教育がしっかりされていたと思います。
おそらく、多民族を許容しなければ、国を成り立たせる精神そのものが揺らいでしまったのではないでしょうか。この問題と真剣に向き合う空気があったと思います。
いつだって、多数が「善」の方向を見ようとすれば、必ず違う方の善性に深く思考を巡らしその可能性に惹かれる人がいるわけで…
もちろん、差別はありました。
今でも外国旅行するときは差別にあうかもという気の重さがあります。
80年代のアメリカでは、スキンヘッドという差別団体が有名でした。
差別団体…というか、元はただの文化ムーブメントだったようですが、一部のグループが差別主義を掲げて過激な行動を行ったため、そのように目されるようになったようです。
うちの近所にはたくさんの子どもがいました。
中でも、お向かいに住んでいたチャドとミスティは年齢が近くてよく遊びました。
その頃、私たちは段ボールに絵を描いておうちにして遊ぶのが好きでした。
そうやって遊んでいたら、うちがあるカルデサック(行き止まり。車が回れるよう円形になっている)に続く曲がった坂道を、1台の派手なオープンカーが、大きな音楽を鳴らして上がってくるのが見えました。
乗っているのは頭を丸刈りにした3,4名の若者。
スキンヘッドだ!
そう思ったのでしょう。
チャドとミスティは慌てて私を段ボールに隠したのです。
差別は、いつでも命や財産を脅かすわけではありませんが、とても屈辱的です。
今思うと、スキンヘッドが有色人種に暴力をふるう、というのはすでに都市伝説に近いものだったのかもしれませんが、伝説に怯え、私を隠してくれようとした小さな幼馴染たちの情を思い出すとなんとも言えず懐かしい気持ちになるのです。