牙を抜かれた主婦の絵日記

育児マンガとどうしようもない独り言。お気軽にコメントください!

親子で想像の時間

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いつもついつい忙しくて遊んであげてない私。

以前はごっこ遊びにつきあったりもしてましたが、「ママいつも忙しいからシャロもうママを誘うの諦めたの」と言われてしまうありさま。

 

お風呂での遊びも最近はサボりがちでしたが、また時々こうやって想像力を働かせてごっこ遊びをします。

シャロの世界はフリフリでプリチー。

私は想像でできたバターとクリームたっぷりのホットケーキや、シナモンとクリームたっぷりの紅茶を口に運んで、想像のお庭を眺めて空を散歩するわけですが、全力で想像すると、ちょっとだけ…ちょっとだけだけど、おいしいものを食べた満足感みたいなのが味わえます。

シャロの世界にはたくさんのドレス、雲、虹、宝石が登場します。あと、棘のついた靴(ハイヒール)。

 

ルイも想像のお茶を飲んだりします。もうそういうことがわかるようになってるんですね~。

ケンカしても甘える妹

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片方の手で押してるけど、片方の手はぎゅっと抱きしめてました。

 

ご覧の通り、夏の頃のお話です。

もうずっとアップする時間がなく今必死に消化しているところです。

 

今ではルイちゃんは…お姉ちゃんを呼び捨てするようになりましたw

「シャロまた泣いてる~」とか「シャロまだ寝てるの~?」みたいな感じです

 

でも、遊んでいたと思ったらふと思い出したように両手を伸ばして「だっこ」とお姉ちゃんに甘えるのは今でも変わりません。

そんなルイちゃんに、「だっこって言わなくてもいいんだよ、抱っこしてあげるよ」とシャロが言っているのがこの間聞こえました。

差別団体に怯える【アメリカ西海岸の80年代】

差別は忌み嫌うべきもの。

80年代のアメリカではすでにそのような教育がしっかりされていたと思います。

 

おそらく、多民族を許容しなければ、国を成り立たせる精神そのものが揺らいでしまったのではないでしょうか。この問題と真剣に向き合う空気があったと思います。

 

いつだって、多数が「善」の方向を見ようとすれば、必ず違う方の善性に深く思考を巡らしその可能性に惹かれる人がいるわけで…

 

もちろん、差別はありました。

 

 

今でも外国旅行するときは差別にあうかもという気の重さがあります。

 

 

80年代のアメリカでは、スキンヘッドという差別団体が有名でした。

 

差別団体…というか、元はただの文化ムーブメントだったようですが、一部のグループが差別主義を掲げて過激な行動を行ったため、そのように目されるようになったようです。

 

 

 

うちの近所にはたくさんの子どもがいました。

中でも、お向かいに住んでいたチャドとミスティは年齢が近くてよく遊びました。

 

その頃、私たちは段ボールに絵を描いておうちにして遊ぶのが好きでした。

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大きな段ボールをいくつもドライブウェイに並べました

そうやって遊んでいたら、うちがあるカルデサック(行き止まり。車が回れるよう円形になっている)に続く曲がった坂道を、1台の派手なオープンカーが、大きな音楽を鳴らして上がってくるのが見えました。

 

乗っているのは頭を丸刈りにした3,4名の若者。

 

スキンヘッドだ!

 

そう思ったのでしょう。

チャドとミスティは慌てて私を段ボールに隠したのです。

 

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段ボールの中に隠しました

 

差別は、いつでも命や財産を脅かすわけではありませんが、とても屈辱的です。

 

今思うと、スキンヘッドが有色人種に暴力をふるう、というのはすでに都市伝説に近いものだったのかもしれませんが、伝説に怯え、私を隠してくれようとした小さな幼馴染たちの情を思い出すとなんとも言えず懐かしい気持ちになるのです。

【アメリカ西海岸の80年代】学校を休むのは普通のこと

最近ほしのグループの社長が、「休日にみんなで休んで旅行に行くのではなく、分散して旅に出るべき」という主旨の発言をしていて、考えさせられるものがありました。

 

それに続くようにして4連休での大混雑による感染リスクの恐れ。

 

日本ではレジャーは混雑と隣り合わせ感がありますし、

日常的に満員電車を利用している国民が、人との密接にマヒしているところもある気がします。

 

分散して休日を設定する案も素晴らしいと思いますが、

単純にもっと有休が取得しやすくなればよいと思います。

 

さらには、小学校くらいまでは、子どもが気楽に学校をお休みしてもよいのではないかな…と思うのです。

 

 

あとでこの話を書こうと思いますが、私が住んでいた場所では、勉強が本格化するのは中学校からでした。

もちろん、乗っている線路によって事情はゼンゼン違ったと思います。私立に行っている子なら、小学校からでもお休みしにくい環境だったかもしれません。

 

でも私が行っていた公立では、いつでもみんな気軽に休んでいました。

そして戻ってくると先生に促されて、休日にやったことをクラスメートに発表していました。

 

ちなみに、この当時のアメリカは、「あなたは特別」教育のピークだったと思います。自己肯定感を上げることで、麻薬や非行に走るのを防いでいたのかもしれません。

とにかく、自己肯定感を上げるために褒められまくりましたし、「自分」について発表する機会がふんだんに設けられました。ただただ、「私とは」とか「私の好きなもの」というテーマで資料を作って発表したこともあります。

 

そういうわけで、毎朝だったか月曜のみだったかは忘れましたが、

「Show and Tell」という時間があり、お休みにやったことに関わるものを持ってきてみんなに見せて話す時間がありました。

 

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こんな風にやっていました

 

中学校に入ると、いきなり選別が始まりました。勉強ができるとみなされた子は、進学校なみのスピードで勉強し、大量の宿題に追われることになりました。勉強が苦手とみなされた子は、自分のペースで勉強しつつ、得意なものを模索する環境が設けられました。

でも小学校はまだ社会性を身に付けたり、勉強の入門編と言う感じで、ゆるゆると遊びながらこなしていたので、休んでも遅れる心配がありませんでした。

賛否あるかもしれませんが、私はこのやり方はとても理にかなっているように思えて、自分の子供たちも、小学校卒業までは学問よりも家族との時間を大切にしてもらいたいなと思っているところです。

 

ところで、80年代のアメリカの自己肯定感を上げる教育については、

その時代に育った人たちが現在あまりにデリケートすぎて扱いにくいことが問題視されているそうです。

今はあまり自己肯定感を上げすぎる教育はしていないかもしれませんね。