水着のパンツだけ頭にかぶって外に飛び出そうとするルイちゃん…。
これも数ヶ月前に書きかけてあったのを色付けして掲載しました。
自粛の合間にも、こういったことをしたこともあったんですよね。
ちょっとゆるんだらまた引きこもる生活に戻っての繰り返しでしたね。
実は結構前になるのですが、前回お見舞いに行ったというエントリーのすぐ後、義母が亡くなりました。
1人で長い間闘病し、最後も1人でした。
もういつどうなっても不思議ではないので、最後のあいさつに来てください、と言われ、車で7時間かけていき、会えたのは10分。子どもたちはまだ混乱してどうしていいかわからないうちに面会は終わりました。
私たちが東京から来たという理由で、10分だけになりました。
その後お見舞いにきた地元の親戚は1時間滞在したそうです。孫たちとほとんど会えなかったことをとても悔やんでいたと聞きました。
その夜中、病院から容体が急変したと連絡があり、駆け付けた時はもう息を引き取っていました。
義母にはルイとシャーロットのほかに孫はいなく、孫たちとの時間だけが喜びと言っていたほどでしたから、もう少し一緒にいさせてあげたかったです。子どもたちがもう少し場所慣れして、笑顔を見せて、手を握って、名前を呼んでお話し始めるまで時間を上げてほしかったです。
こんなにも気の毒な亡くなり方をしなくてはならなかったのか。看護師さんが入室するときは見舞い客は廊下に出るとか、そういう対応でもダメだったのか…。
10分一緒にいるのと、30分一緒にいるので、そんなに違うものだろうか。
どうしてもモヤモヤした気持ちが残り続けてしまっています。
それというのも、亡くなってから病室に呼ばれると、しばらくそこで待機することになったのです。
亡くなってからこんなに一緒にいさせてくれるのなら、生きているうちに一緒にいさせてあげたかったな…。
しかも、私たちの後に面会した親戚の家族がその前に濃厚接触者となってしばらく隔離されたりしていたこともあります。コロナは東京にだけあるわけではないのに。
今医療関係者の大変さは想像を超えるものがあると思うのですが、たとえば最後のお別れの時の対応について、コロナの今だけでも全国的なガイドラインみたいなものがあれば、こんなに悲しい思いをすしないで済むのかも・・・。
とにかく、お葬式その他でバタバタしていましたが、
わたしが心配していたのはシャロの心のケア。
シャロはリメンバーミーのガイコツが怖いとテレビを消します。「生きる喜び」という歌詞がある歌も消します。そのフレーズを聞くと悲しくなってしまうのだそうです。
でも、祖母が亡くなったときは意外なほどクールで、というか、異常なほどクールで…お骨を拾うのもなんとはなしにやってしまいました。そして義母の話を避けます。
必要以上に平常を装っているように、私には見えました。
まあ、そんなこんなで悲しい思いをしたのですが・・・・・
お葬式から帰り、布団に入ろうとしたその時。
ルイちゃんがニコニコしながら天井のナニカを目線で追っているのです。
「どうしたの?ルイちゃん?」などと話しかけながら、
「ばあば、いなくなって寂しいね」と言うと、
ルイちゃんはニコニコしながら枕元を指さして、
「ばあば、ここに、いるよ」と言ったのでした。
その数日後にももう1回、天井に目線をやって「ばあば」と言ったことがあります。
その後は何もなかったのですが、49日にお墓参りをしたその翌日、保育園で「じぃじとばぁばに会った」と話したのだそうです。
あんまり信じる方じゃないのですが、もし何らかの形で会いに来て、亡くなった後にでも孫に会いたい気持ちが報われたのだとしたら、少しだけ救われます・・・。