牙を抜かれた主婦の絵日記

育児マンガとどうしようもない独り言。お気軽にコメントください!

ママが怒っても案外平気な我が家族

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時々ヒスってるママを家族が生ぬるく見守っている現場があります…。

私と夫が激しくケンカしても10分後に笑ってしゃべってるような、切り替え早く起伏激しいタイプだからでしょうか・・・あんまり気にしない感じがあるように思います。

 

 

やっと夏休みが終わりますね・・・はぁ、精神的にきつかった・・・。

 

天国はばぁばみたいな人がいるところ

そういえば、義母がなくなってから、ずっとシャロがどういう風に気持ちを整理してきたのか気になっていたのですが・・・

先日テレビで温泉に浸かっている人が「天国だー」と言っているのを見ると、笑いながら

「天国だってー!天国って、ばぁばとか、そういう人たちが行く場所でしょ~!」

と言っていました。

 

なるほど、「天国」という、異国的などこかに行った、と理解しているのかもな、と思いました。

 

都合よく大きくなったり小さくなったりするルイちゃん

ルイちゃんは、とっても要領がよさそうだな~と思います。

見た目がとてもあどけなく、幼稚園の見学会に顔をだしたらちょっと驚かれました。

でも言うことはいっちょ前。赤ちゃんみたいな声なのに、大人みたいなしゃべり方をします。

幼稚園への憧れがどんどん増してきて、「ウイちゃん、もうおっきくなったから、幼稚園にいけるよ?」と言います。

かと思うと、「ウイちゃん、まだちっちゃいからできない。やって」などとおねだりすることもあります。

 

パパにありがたいと思うこと

ところで、先日子どもを載せて自転車に乗っていた時に…突風にあおられて転倒してしまいました・・・!!

 

その時、近くを通った人が自転車を起こすのを手伝ってくれたのですが・・・

 

「大丈夫?」と聞かれて、「大丈夫です」と答えたら、

「あなたじゃなくて、子どもたちが」って言われたんです・・・。

 

手伝ってくれたのはすごくありがたかったけれど・・・

この時、子どもを危険にさらした母親、子どもを気に掛けない母親、そんなレッテルを貼られたような気持ちになってしまって。

感謝が一番でしたが、

 

転倒したのは、私が悪かったのかな。

転倒しやすい子どもを載せた自転車がないと生活できないし、自分の趣味で載せて走り回ってるわけじゃない。

そもそも、子どものシート付の自転車は駐輪しにくいし、
自転車用道路がちゃんとできていなくて、安全に走行できる道路も少ないし

細い道から突風が出る仕様は、予想もできないし私が設計に関わったわけじゃない

私だって日々不安を感じながら自転車を運転していたわけなんだけど・・・。

 

私は子どもたちに何度も謝って、責められてしまったような気持ちになりながら家に帰りました。

 

そういえば、昔子どもを載せてよろけた時も、数メートル離れたところを歩いていたおじさんに「何やってんだ」と舌打ちされたことがあって・・・

 

その時もこんな気持ちでした。

 

「何やってんだ」「母親のくせに、たかだか100キロ(子どもを載せて電動自転車の総重量)も支えられないなんて」 舌打ちして通り過ぎていった人は、そんな風に思って舌打ちしたんじゃないかな

 

まあ、そんな風に軽くへこんで帰りました。
子どもたちはシートベルトしてたしケガなし。私はぎっくり腰&あざですみました。

 

で、家に帰って、叱られるかなと思いながらも、パパに「今日自転車で転倒しちゃって」と言うと、

 

パパは

 

「大丈夫だったの!?」と怒鳴るように言いました。

 

「子どもたちはケガしてないよ」と答えると

 

「子どもたちがケガしてないのは見ればわかる!ママちゃんが大丈夫だったのか、って聞いてるの!」と怒ったように言いました。

 

その時、私は、子どもの付属品としてじゃなくて、自分という人間として存在していいと肯定されたような気持ちになってものすごううれしかったので、忘れないように書いておこうと思ったのです。

 

もう1つ感謝してるコト

思い出したついでにもう1つ感謝してるコト書こうと思って。

子どもたちに関心を持っていて、忙しい時でも、「今日子どもがこんなことをしてね…」と話し始めると、やっていることを止めて「それで?それで?続きは?」と話を聞くこと。

 

子どもに興味ナシがステータスだった昭和の子育て時代を知ってる私から見てこれは特別なことです。(その分リッチ昭和は、派手な家族サービスや記念日の花束がありましたが)

そんなありがたい気持ちをちょくちょく思い出しつつ生活しよう、などと思っている朝です。

近況

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めっちゃ褒めてきます。いろいろと賢くなったんでしょうか。

 

ふざけてばかりの娘たち

いつも2人そろってふざけています。どちらも笑いを取りに行くのに貪欲…

女子はあまり果敢に笑いを取りに行くとモテないってばっちゃが言ってたのに…。

おしりやおへそを出して見せあって笑い転げたり、
「くるまをうるならビッグモーター」「きーえーーーっ!」という合いの手を入れあって笑い転げたり。

思ってた女子像と違いすぎるんよ…。

 

まあ穏やかな日々

人とあまり会わない、イベントの少ない生活は夫と私にはあっているようで、

まあ穏やかに過ごしています。

義母が亡くなりました

 

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水着のパンツだけ頭にかぶって外に飛び出そうとするルイちゃん…。

 

これも数ヶ月前に書きかけてあったのを色付けして掲載しました。

自粛の合間にも、こういったことをしたこともあったんですよね。

ちょっとゆるんだらまた引きこもる生活に戻っての繰り返しでしたね。

 

実は結構前になるのですが、前回お見舞いに行ったというエントリーのすぐ後、義母が亡くなりました。

 

1人で長い間闘病し、最後も1人でした。

もういつどうなっても不思議ではないので、最後のあいさつに来てください、と言われ、車で7時間かけていき、会えたのは10分。子どもたちはまだ混乱してどうしていいかわからないうちに面会は終わりました。

 

私たちが東京から来たという理由で、10分だけになりました。
その後お見舞いにきた地元の親戚は1時間滞在したそうです。孫たちとほとんど会えなかったことをとても悔やんでいたと聞きました。

 

その夜中、病院から容体が急変したと連絡があり、駆け付けた時はもう息を引き取っていました。

 

義母にはルイとシャーロットのほかに孫はいなく、孫たちとの時間だけが喜びと言っていたほどでしたから、もう少し一緒にいさせてあげたかったです。子どもたちがもう少し場所慣れして、笑顔を見せて、手を握って、名前を呼んでお話し始めるまで時間を上げてほしかったです。


こんなにも気の毒な亡くなり方をしなくてはならなかったのか。看護師さんが入室するときは見舞い客は廊下に出るとか、そういう対応でもダメだったのか…。

10分一緒にいるのと、30分一緒にいるので、そんなに違うものだろうか。
どうしてもモヤモヤした気持ちが残り続けてしまっています。

 

それというのも、亡くなってから病室に呼ばれると、しばらくそこで待機することになったのです。

亡くなってからこんなに一緒にいさせてくれるのなら、生きているうちに一緒にいさせてあげたかったな…。

しかも、私たちの後に面会した親戚の家族がその前に濃厚接触者となってしばらく隔離されたりしていたこともあります。コロナは東京にだけあるわけではないのに。

 

 

今医療関係者の大変さは想像を超えるものがあると思うのですが、たとえば最後のお別れの時の対応について、コロナの今だけでも全国的なガイドラインみたいなものがあれば、こんなに悲しい思いをすしないで済むのかも・・・。

 

 

とにかく、お葬式その他でバタバタしていましたが、

わたしが心配していたのはシャロの心のケア。

 

シャロはリメンバーミーのガイコツが怖いとテレビを消します。「生きる喜び」という歌詞がある歌も消します。そのフレーズを聞くと悲しくなってしまうのだそうです。

 

でも、祖母が亡くなったときは意外なほどクールで、というか、異常なほどクールで…お骨を拾うのもなんとはなしにやってしまいました。そして義母の話を避けます。

必要以上に平常を装っているように、私には見えました。

 

 

 

まあ、そんなこんなで悲しい思いをしたのですが・・・・・

 

お葬式から帰り、布団に入ろうとしたその時。

ルイちゃんがニコニコしながら天井のナニカを目線で追っているのです。

「どうしたの?ルイちゃん?」などと話しかけながら、

「ばあば、いなくなって寂しいね」と言うと、

ルイちゃんはニコニコしながら枕元を指さして、

「ばあば、ここに、いるよ」と言ったのでした。

 

その数日後にももう1回、天井に目線をやって「ばあば」と言ったことがあります。

 

その後は何もなかったのですが、49日にお墓参りをしたその翌日、保育園で「じぃじとばぁばに会った」と話したのだそうです。

 

あんまり信じる方じゃないのですが、もし何らかの形で会いに来て、亡くなった後にでも孫に会いたい気持ちが報われたのだとしたら、少しだけ救われます・・・。