珍しくまじめなエントリーです。
出征前診断の間違えで賠償金が1,000万円の判決が出た件で。
ツイッターで乙武さんがこのような発言をしていたことに対して、思ったことがあるのです。
「息子に謝ってほしい」という気持ちは理解できるが、その訴訟が「障害を持って生まれてくるくらいなら、生まれてこないほうがよかった」という判例をつくる行為につながることを自覚していただきたい。 / 診断結... http://t.co/DNw5blUtAL #NewsPicks
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 10月 5
一応、断らせていただきますね、私は医療関係者でも福祉関係者でもなく、無知な部分も多々あると思います。
なので、あくまで知っている範囲内で、個人の感情と考えを語らせてください。
「障がい」には2種類あるのでは?
この件では、マイノリティーになるケースの障がいと、身体的苦痛を伴うケースの障がいを分けて考えなくてはならないのではないかな、と。
以前読んだマット・リドリーの「GENOME」に、このような文がありました。
「第21染色体が1つ多い子供は、健康で、陽気で、何年も生きる運命だ。しかし、彼らは(嫌な表現だが)『ふつう』とみなされていない」
(※ 意訳。原文は「Children born with an extra chromosome 21 are healthy, conspicuously happy and destined to live for many years. But they are not conidered, in that pejorative word, 'normal'」)
ダウン症についてあまり予備知識のなかった私は、これを読んでなるほど、と思いました。彼の言う通り、ダウン症は障がいではなく、「違い」「個性」だとするならば、
・ダウン症だとわかっていたら、子供の精神的苦痛/経済的負担/育てる困難さを考慮して中絶していたのにその機会が失われた。
・ダウン症だとわかっていたら、合併症による苦痛を考慮して中絶していたのにその機会が失われた。
の2つではちょっと違う話になってくると思います。
障害という言葉の意味は、「正常な進行や活動の妨げとなるもの」だそうですが、目が悪い・胃が弱い・手先が不器用・虫歯なども、正常な活動の妨げになると思います。
ただ、大きな違いは、これらがマイノリティと呼べないほど多くの人が持っているという点。
マジョリティだから治療方法も多く、マジョリティだからみんなの理解もあり、みんなの理解があるから治療が完全でなくても融通が利き、心的負担も軽い。
例えば、足がないのが当然な世界があったとすれば、すべてのインフラは足がない前提で作られているはずだから、そこに足が生えた人間として暮らすには、たくさんの不便が伴うと思う。
また、虫歯がないのが当然な世界で虫歯を患っていたら、治療方法も少ないだろうし、痛くて食べられない人は偏見の目で見られることもあると思う。
マジョリティに関しては社会の受け入れ態勢が整っているから「障がい」にならないのでは。
激しい身体的苦痛を伴う「障がい」
こういった、マイノリティであるがために「障がい」とみなされるケースは、運や、本人たちの資質や、環境、社会の受け入れ態勢の変化などで、乗り越えていけるケースもあると思うので、中絶の是非についてはここで論じるのを避けたいと思います。
でも、赤ちゃんが生まれることによって強い痛みを感じて、そこから回復する見込みがほとんどないという意味での「障がい」については、産まれる前の中絶について理解できます。
もちろん、結果として幸せに生きられたというケースもあると思いますが、今の私はそういう考えです。
ダウン症はどちらのケースなのか
この記事によると、ダウン症であっても、今では多くの合併症の早期発見・治療の方法があり、50年、60年と、激しい身体的苦痛を感じることなく生きていけるようです。
だから、ダウン症そのものは、障がいではなく、「マイノリティ」と呼べるところまで来ているのではないかな…?と思います。
今回のケースは
今回のケースはでも、ダウン症であったため、様々な合併症を伴い、赤ちゃんが苦しんだ、ということを夫婦が訴えていらっしゃいます。
もしダウン症であることがわかっていれば、妊娠中から合併症の所見があるか調べることができたと思うのです。そうであれば治療することもできたし、もし重篤で治療の手立てもないとわかれば、悲しいけれど苦痛が発生するのを防ぐこともできた……そういう意味で選択の機会が奪われたのだと思います。
まとめ
乙武さんがおっしゃるように、「生まれてこなければよかった」という例を作ってはならないと思います。
そして、このケースでは、『「ダウン症だから」生まれてこなければ…』ではなく『「身体的苦痛から救う手立てがないから」生まれてこなければ…』だと思うので、
報道では、「ダウン症だから」という言い方ではなく、「苦痛を伴ったから」という点をしっかりと前面に押し出してもらいたいと思うのです。
できれば、当事者も周りの人も違いを障がいではなくただの違いと受け止めて生きていける社会になって、
すべての人が痛みを感じず、感じたとしても後で笑い飛ばせるもので、長く楽しく生きていける世の中が早くできることを願いつつ。