牙を抜かれた主婦の絵日記

育児マンガとどうしようもない独り言。お気軽にコメントください!

履歴書と原稿用紙なくしたら日本の教育はもっとよくなる

以前も書きましたが、私は海外飼育です。

もはや帰国子女は名乗れません。長い年月の間にRが発音できなくなりました。

なんでもかんでもアメリカバンザイと言う気もありません。アメリカの教育によってたくさんのゴミ虫(←最近好きなことば)が生成されていることもよく知っているからです。

それに、これから語ることがアメリカ全土に共通することかどうかも知りません。あくまで、私のいた地域で私が受けた教育をベースにしています。

原稿用紙、なにこれ?

中学生までのほとんどの時間をアメリカ西海岸で過ごした私は、帰国後、「読書感想文を書け」という宿題に面喰いました。

まず原稿用紙と言うものがわけわかめでした。
わけわかめだと思った私は先生に、「この本について同時代の女流作家の作品との比較をしたいから、図にしたい。原稿用紙ではなく、白紙を使って提出したい」と相談しました。幸い、この先生は理解して許可してくれましたが、なんてかわいくない中学生でしょう。

それからまたしばらくたって、また読書感想文を提出する機会がありました。

「なんでこんなに何度も感想文を書くんだろう」

そんな疑問を抱きつつ、今度は原稿用紙で提出したのですが、その内容について、先生から「これは感想文ではない」と言われたのでした。

アメリカの学校でも読書に関する個人的な感想を求められることはありました。小学校までは。でも私の記憶が正しければ、評価された感想文は、「おもしろかった」とか「感動した」とかいう内容じゃなくて、「この本を読むメリット(=学べること)」などを書いたものだったのです。

で、それは『私の感想ではない』と言われたことに、「確かにな」と納得しつつも、
「私の感想なんて聞いてどうすんの?」とも思ったわけでした。

『ワタシノキモチを発表することを学ぶ』ことになんのメリットがあるのかしら、そんなに何度も練習すべきものなのかしら、と。

フォーマットを指定したら後は埋めるだけ

20数年を経て私は、誰が見ても間違いない、正しき日本人になりました。

作文ではちょっと先生に媚びた「子供らしい」文章を書くことを覚え、空気を読むことを覚え、
偏差値順に行く大学を決め、単位を取得し、大きい順に会社の面接を受けました。
こいつら私の趣味知ってどうするんだろう、社内サークルにでも誘うんだろうか』なんて考えることもなく、履歴書の空欄を埋めて就職しました。

今ではTEDトークをぼんやりと見ながら、「ほげな、世の中にはいろんな話し方を工夫する人がいるじゃけんのう(こんな方言ないと思います)」とか思うほどに。

いつしか、私は作業をする前に、誰かがフォーマットを与えてくれることを期待するようになっていたのです。

ですが、リアル社会では、フォーマットを決める時点で勝敗はかなり決まっていると思うのです。

アメリカでは、小学校の時からフォーマットをそんなにしっかり指定されることがあまりありませんでした。プレゼンテーションの方法を選ぶのも、作業のうちだったのだと思います。
だって、空欄を埋めるだけの作業は、楽すぎるし、そのくせ楽しくないもの。

日本って、大学まで誰かに親切にフォーマットを準備してくれるくせに、社会人になっていきなり自分で考えてやれ、でしょ?しかもジョブスみたいなスタイリッシュな発表の場に慣れた外国人さんたちと対等に渡り合え、でしょ?

スパルタすぎない?

ついでに

ついでに、、、日本で感じて、今でも「ここは外国の方がいいんじゃない?」と思う教育のあれこれ・・・

・小学校までは、読み書き算数ができればOKじゃないかな。
私が小学生の頃は、旅行などの家族行事の時は、誰も彼も普通に学校休んでた。そんで、戻ったらその様子をみんなの前で発表したりして。
小学校までは社会性を身につけることに重点が置かれていた気がする。それよりも、家族と過ごす時間が重視されていて、本格的な勉強は中学校から始まった。

・全員勉強できることを求めなくていいんじゃないかな。

・演劇とディベートってけっこう重要な勉強だと思うの。
演劇をやる4つのメリットにも書いたからついでに参照してもらえるとうれしいの