牙を抜かれた主婦の絵日記

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天才を育てる教育vs和を求める教育


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> 大学入試の2次試験、人物評価重視に 面接や論文のほかボランティアなどの活動歴
> 大学入試は「人物」をみる場ではない

この改革によって、日本の教育はさらに調和を求める人物を強化する方向に傾くのではないでしょうか。


「主体性、創造性のある多様な人材」をとるのが目的とありますが、
どちらも漠然とした言葉で、本当に社会で役立つ/競争力を持つ/いい研究につながる主体性や創造性を見出すシステムが、今の日本の教育機関に作れるのか疑問です。

理系科目ならまだしも、経済・経営・商業系科目はどうだろう……


たとえばアメリカは、小学校から始まる英才教育プログラムによって早いうちから天才を発見し、隔離、教育する仕組みが確立しています。
その結果格差がありつつも、少数の絶対的リーダーがけん引していく社会となっています。

ドイツのように早期からスペシャリストを育成することに重きを置いているところもあったり、国それぞれだと思います。



一方日本では、スコアをつけやすい暗記メインのペーパーテストである程度の序列をつけるものの、
ディベートは重視されず、課題はもっぱら所定のフォーマットに記入するだけで、
実践能力を身に着けることに比重を置いていないようです。

ただし、チームで機能し、マニュアルどおりに遂行できる人材を育て上げることに長けた教育システムだと思います。


どれがいい、悪いというのはないと思うのですが、
教育は社会情勢&政策と足並みがそろっていないといけないとは思います。


調和を求める教育を続けるのであれば、
終身雇用制や年功序列をちゃんと維持しないといけないのではないかと思います。
こういった「守る仕組み」は衰退しつつあるのに、
フォーマットとマニュアルで育てた人材にいざ競争社会で「さあ競え」と言っても、外国で教育を受けた人が有利 になってしまいますから、
教育のドーナッツ化現象みたいなことが起きてしまうのでは? と懸念してしまいます。


また、今は日本だけでビジネスをしていればいいとは限らないので、調和を求めて育った人が、
競争や専門性に特化して育てらてた人たちと対等に渡り合えるのか心配にもなります。


調和を求める教育が社会情勢にマッチして、
日本を大きく育てた時代はあるのだと思いますが、
それが今の現状に本当に合っているのか……については教育に関する専門家じゃないのでわかりません。

素直な感想として、こういう試みは私立学校に任せてみては? と思ってしまうのです。